2014年3月26日水曜日

キチガイだらけの世の中

マレーシアの旅客機が謎の失踪をしてから2週間以上が経過したそうだが相変わらず謎だらけ。
しかし、ドップラー効果の応用と衛星を駆使して旅客機は海に墜ちたという結論が出たらしい。
乗客のほとんどが中国人だったらしく、家族も中国人が多くて、マレーシア航空の発表には猛烈に反発していた。
泣き叫び喚き散らし、暴れながら陰謀だ!等と叫んだり共産党の名前を出したり、慟哭とはまさにこの事か。(日本人は静かに悲しむはず。国民性の違いですね)
「墜落したという証拠を出せ」
「ですから。。。。ドップラー効果と衛星を駆使した結果が証拠になります」
「機体の一部も見つからないのになぜ墜落したと決め付けるのだ?」
「全ては海の底なんですから今は見つからないですよ。これから探しますが、それはあくまでも事後処理ってことでして」
「副操縦士が進路を変更する理由が無い!」
「理由と申しましても。。。頭がおかしくなったんだと思います。理由なんて無いんですよ」
とかなんとか言ったとか言わないとか。
事件や過失による事故が起きると捜査する側は必ずや動機や原因を究明しようとするけれど、そんなものは無い場合だって沢山あると思うのです。

例えば通り魔が大量殺人を実行したとして、裁判の過程で明かされる動機のほとんどが
「世の中に不満があった」
「目立ちたかった」
「世間を驚かせたかった」
というようなお決まりのパターンがほとんど。
これって本当に犯人の意思なのでしょうか?
「ムシャクシャしたから」
「ナイフの切れ味を試したかった」
「筋トレの成果を確認したかった」
的な、微妙に、あれ?コイツキチガイか?みたいな動機が実は結構あるんじゃないかな?って思います。
「神の意思によって手が勝手に動いた」
「ルミナスって亡霊が僕に命令した」
「殺さなきゃ殺される」
みたいなキチガイ確定の動機じゃなくて、微妙な動機の場合は、もしかして弁護側に精神鑑定を要求される可能性もあるわけだし、実は取調官にありきたりの動機に誘導されているのではないかな?とも思えてしまうほど通り魔事件の動機は似ているモノが多い。
「猛暑でイライラしたから殺しました」
「お前なぁ。そうじゃないだろ?本当の事言えよ?世間に不満があったんじゃないのか?生活保護申請却下されたんだろ?」
「イライラしただけだってば」
「ツッパるなよ。心を開いて自分と向き合え、な?印象悪いぞ?反省ないとストレートに無期だぞ?ん?」
「え?無期?あ、えーと。ふ、不満がありました。。。」
「そうか!そうだろ?役所にだな?ん?」
「あ、は、ハイ。」
元々が単純な理由で大量殺人を起こしてしまうような馬鹿な訳ですから誘導だって簡単だと思うのです。

こういう事を書くと「統合失調症に誤解が生まれるではないか!それにキチガイは差別用語だ」といった意見が直ぐに出てきます。
しかし、病気として認定されている統合失調症と、ここでいうキチガイとは全くの別物なのです。
病気と決定できないから野放しとなり、事件を起こしてしまう。

これは防ぎようが無いですね。
どうしたら被害者にならないで済むかというと、もうこれは運しかないのですよ。
そういう世の中になってしまったのです。
都会人なら1日に一回は誰かに命を預けるはず、電車に乗ったり、タクシーに乗ったり。
そんな時、命を預けた相手(運転手)が突如キチガイ発作を起こしてしまったら。。。。。ゾッとします。

2014年3月25日火曜日

風邪引いた

職場で風邪が大流行してインフルエンザと感冒の波状攻撃に遭い感冒に感染してしまった。
同僚はインフルエンザに感染してしまった。
インフルエンザのような強いウイルスは一体何が目的で人間を襲い死に至らしめようとしているのだろうか?
インフルエンザウイルスは実は小さなエイリアンで、地球を侵略しようとしているのか?
人間に感染する事でしか命を繋げないのに人間を殺してしまってどうするの?という矛盾がある。
いや、実は人間が居なくても普通に何かしらの有機物を摂取して生きる事はできるのかもしれない。
そのような活動をする上で人間がとても邪魔で、「クタバレ人間ども!」って殺しにきてるのかもしれないね。
歴史上幾度となく発生した世界的な人口調整とも言える流行り病の発生はどうして起こるのだろう?
ペストやコレラなんかのウイルス(菌)はそれまで存在していたのか?いないのか?
未開のジャングルやツタンカーメンの墓などに自然的に封印されていたものが偶然世に出てしまったのか、それとも以前には地球に存在していないウイルスであったのに隕石に乗じて地球にやってきたのか?
タンポポのホヤホヤ毛な種が空を飛んで勢力を拡げるのと同じように宇宙においては隕石を使って日常的にウイルスの勢力拡散運動が行われているのかもしれない。(パンヘルミア説とか言うらしい。)

他には、例えば高度な文明を持った宇宙人が居て地球を侵略したいと虎視眈々と狙っているとして、そいつらの文明は地球のように物質的な文明ではなく、どちらかというとスピリチュアル寄り(よくわからんけど)の文明でミサイル等の兵器は持たず、または彼等はとてもとても小さな宇宙人で顕微鏡で見ないと見えないくらい小さくて彼等の兵器そのものが地球人には効果がなく、しょうがないから様々な細菌兵器で地球の転覆を目論んでいるとか。。。ね。
ダニに細菌兵器を埋め込んで日本に放流したりとか。

去年から急増しているダニを媒体とする恐ろしい菌がどんどん増えているって何気に怖い話なんだよね。

あと考えられるのは製薬会社の陰謀論だ。
ウイルスを撒き散らしておいて薬を売りまくる!
ってそんなことが本当にあるならそれは人間のやることじゃあ無いね。

訳の分からない妄想をしつつ、真実は何時も闇の中であることに軽い絶望感を覚えながら薬を飲むのであった。

2014年3月18日火曜日

はじめに

2006年くらいから5年くらいテレビを観ていなかった時期があり、2014年現在もほとんどテレビを観ない生活が継続している。
最初は特に理由があった訳ではなくて、当時すごく田舎の山奥に住むことになった私は、ある日アンテナのケーブルが台風で切断されてしまい、復旧が面倒だった上に手元不如意(要するに貧乏)だった為にやむなくラジオ生活に切り替えたのだった。
最初のうちは言いようの無い不安に襲われてしまったように思う。
「世間についていけなくなってしまうのではないか?」
「災害時に困るのではないか?」
そういう不安も最初のうちだけで、ラジオがあればどうにでもなるのだった。
ラジオは聴くだけで良いので軽い仕事をしながら洋楽を聴いたりするのにはとても便利だったし、目からのイメージが絶たれている分、ラジオ局サイドも様々な工夫を凝らしており、丁寧な語りかけと状況説明が楽しく感じられた。
そうこうしてラジオ生活の日々が過ぎた2013年、我が家はゲリラ豪雨に襲われてしまった。
裏山から土石流が流れてきて床下浸水、そして愛車が浸水してお釈迦になった。
河は氾濫して県道や橋が崩落、一人が亡くなり多数の家屋が全壊した。
まさに地獄絵図であった。
自分の家より高い位置にあった隣人の家に避難させてもらい、そこで久しぶりにテレビを観て、ニュースを観た訳だが、その内容は現地の人間の心を深く傷つける偏った内容であった。
絵になるような倒壊した家屋や地域だけを放映し、一週間もすると報道は止んだ。
報道が止むとボランティアさんは減少し、地元の人間は猛暑の中泣きながら復旧に追われたのである。
当時、テレビの取材を拒否している人の姿を目にするのも少なくなかった。
被災者が救いを求めたテレビは冷静で、あまりに冷静で、被災者にはテレビが利益のみを追求する悪魔の姿に見えたのだと思う。
しかし、

喉元過ぎれば熱さ忘れる

これは何も冷えていった報道やボランティアさんの熱を揶揄しただけのものでは無い。
あれだけテレビを憎んでいた地元の人間も即座にテレビ生活に戻っていったのだった(私は限界過疎地に住んでいたので大半は老人ですよ)。

もはや、我々はテレビに飼いならされた奴隷ではないのか?

テレビは娯楽を提供してくれるし、最新情報も運んできてくれる。
テレビが教えてくれるモノは絶対だし、テレビは便利な箱なのだ!。。。。

というのは20年くらい前迄のお伽話だと思う。
気がつけばテレビはオワコンになってしまった。
ネット世代ではない高齢者が主体のコンテンツになってしまった。

5年前と代わり映えしない、ほぼ固定メンバーがゴールデンタイムに顔を連ねている。
10年程度継続しているちょっとした長寿番組が目立つこと目立つこと。
そりゃあそうだ。
新番組はほとんどが過去に見たようなリサイクルだし、たまに斬新な企画モノがあってもヤラセ、イカサマ、捏造、なんでもアリなんだもの。
結果としてトーク番組か海外の番組をまとめたようなありきたりの番組の羅列という形になってしまった。

あれ?テレビってワンパターンでいい加減つまらないよね?

って卒テレした人は結構多いのではないかな?

民衆はツイッターやフェイスブックやソーシャルゲーム等、テレビ以外の事に移動していった。

そうなると視聴率調査というモノが胡散臭くなってきてしまう。
500万人観ている10パーセントと100万人観ている10パーセントではまるで結果は違うのに視聴率調査の機械は一定数なんだから、これは既にペテンなんだよ。
誰に対してのペテンかと言うと広告主、CMを出しているスポンサーに対してのペテンなんだね。
だってテレビ人口が激減してコマーシャル効果は薄れる一方なのに広告費は同じなんだから。
広告主だって馬鹿じゃないから本当は金なんて払いたくない!しかしだ。金を払わなくなった途端に恐らくテレビは敵になるのだ!
「歯磨きのフッ素は実は危険!」
「界面活性剤は毒!」
「ポテトチップスは肥るよ!」
「タバコは早死!」
みたいなキャンペーンを仕掛けてくる可能性は大いにある。
「今までテレビでいい思いしたじゃん!最後まで運命共同体だろ?な?利益の還元これからも頼むよ!な?テヘへ」
的な腐った悪循環が容易に思い浮かぶ。

更に短文投稿が流行ってきて長い文章やCMなんかはイライラして落ち着いて見やしないのが最近の風潮だ。
「今北産業」
今来たからこれまでの流れを三行で説明してくれよ!
って事だよね。

世の中どんどん加速して皆イライラして。
どうにもこうにも住みにくいったらありゃしない。
だって三行や十行で本当に伝わるのかな?ってことなんだよ。
例えばA子さんがツイッターで赤いスイートピーの写真をアップして

「赤いスイートピー!ヤバイです!!!!」

みたいな投稿をしたとする。
一体何がどうヤバイのか?
もう、本当に適当に合わせるしか無い。

「本当だ!ヤバイねwwwwww」

「でしょう?ヤバイっしょ?wwwwww」

こんな事を続けていたら脳が退化してそれこそ脳がヤバくなるような気がする。
一見、ヤバイの意味を色々考えるから想像力が発達するように思われがちだが、それはあくまでも想像力を発揮するステージがあって初めて生きてくる事であって、洞察力の退化、追究力の退化は免れないと思う。

良く噛まないで食事するのと一緒だね。

だからこそ今、長ったらしい文章が必要なのだ!徹底的に物事を追究して書いていく。
くだらないことを!
多分ここまで辿り着いた人は少ないはず。
更新はたまにです。
宜しく