2014年3月18日火曜日

はじめに

2006年くらいから5年くらいテレビを観ていなかった時期があり、2014年現在もほとんどテレビを観ない生活が継続している。
最初は特に理由があった訳ではなくて、当時すごく田舎の山奥に住むことになった私は、ある日アンテナのケーブルが台風で切断されてしまい、復旧が面倒だった上に手元不如意(要するに貧乏)だった為にやむなくラジオ生活に切り替えたのだった。
最初のうちは言いようの無い不安に襲われてしまったように思う。
「世間についていけなくなってしまうのではないか?」
「災害時に困るのではないか?」
そういう不安も最初のうちだけで、ラジオがあればどうにでもなるのだった。
ラジオは聴くだけで良いので軽い仕事をしながら洋楽を聴いたりするのにはとても便利だったし、目からのイメージが絶たれている分、ラジオ局サイドも様々な工夫を凝らしており、丁寧な語りかけと状況説明が楽しく感じられた。
そうこうしてラジオ生活の日々が過ぎた2013年、我が家はゲリラ豪雨に襲われてしまった。
裏山から土石流が流れてきて床下浸水、そして愛車が浸水してお釈迦になった。
河は氾濫して県道や橋が崩落、一人が亡くなり多数の家屋が全壊した。
まさに地獄絵図であった。
自分の家より高い位置にあった隣人の家に避難させてもらい、そこで久しぶりにテレビを観て、ニュースを観た訳だが、その内容は現地の人間の心を深く傷つける偏った内容であった。
絵になるような倒壊した家屋や地域だけを放映し、一週間もすると報道は止んだ。
報道が止むとボランティアさんは減少し、地元の人間は猛暑の中泣きながら復旧に追われたのである。
当時、テレビの取材を拒否している人の姿を目にするのも少なくなかった。
被災者が救いを求めたテレビは冷静で、あまりに冷静で、被災者にはテレビが利益のみを追求する悪魔の姿に見えたのだと思う。
しかし、

喉元過ぎれば熱さ忘れる

これは何も冷えていった報道やボランティアさんの熱を揶揄しただけのものでは無い。
あれだけテレビを憎んでいた地元の人間も即座にテレビ生活に戻っていったのだった(私は限界過疎地に住んでいたので大半は老人ですよ)。

もはや、我々はテレビに飼いならされた奴隷ではないのか?

テレビは娯楽を提供してくれるし、最新情報も運んできてくれる。
テレビが教えてくれるモノは絶対だし、テレビは便利な箱なのだ!。。。。

というのは20年くらい前迄のお伽話だと思う。
気がつけばテレビはオワコンになってしまった。
ネット世代ではない高齢者が主体のコンテンツになってしまった。

5年前と代わり映えしない、ほぼ固定メンバーがゴールデンタイムに顔を連ねている。
10年程度継続しているちょっとした長寿番組が目立つこと目立つこと。
そりゃあそうだ。
新番組はほとんどが過去に見たようなリサイクルだし、たまに斬新な企画モノがあってもヤラセ、イカサマ、捏造、なんでもアリなんだもの。
結果としてトーク番組か海外の番組をまとめたようなありきたりの番組の羅列という形になってしまった。

あれ?テレビってワンパターンでいい加減つまらないよね?

って卒テレした人は結構多いのではないかな?

民衆はツイッターやフェイスブックやソーシャルゲーム等、テレビ以外の事に移動していった。

そうなると視聴率調査というモノが胡散臭くなってきてしまう。
500万人観ている10パーセントと100万人観ている10パーセントではまるで結果は違うのに視聴率調査の機械は一定数なんだから、これは既にペテンなんだよ。
誰に対してのペテンかと言うと広告主、CMを出しているスポンサーに対してのペテンなんだね。
だってテレビ人口が激減してコマーシャル効果は薄れる一方なのに広告費は同じなんだから。
広告主だって馬鹿じゃないから本当は金なんて払いたくない!しかしだ。金を払わなくなった途端に恐らくテレビは敵になるのだ!
「歯磨きのフッ素は実は危険!」
「界面活性剤は毒!」
「ポテトチップスは肥るよ!」
「タバコは早死!」
みたいなキャンペーンを仕掛けてくる可能性は大いにある。
「今までテレビでいい思いしたじゃん!最後まで運命共同体だろ?な?利益の還元これからも頼むよ!な?テヘへ」
的な腐った悪循環が容易に思い浮かぶ。

更に短文投稿が流行ってきて長い文章やCMなんかはイライラして落ち着いて見やしないのが最近の風潮だ。
「今北産業」
今来たからこれまでの流れを三行で説明してくれよ!
って事だよね。

世の中どんどん加速して皆イライラして。
どうにもこうにも住みにくいったらありゃしない。
だって三行や十行で本当に伝わるのかな?ってことなんだよ。
例えばA子さんがツイッターで赤いスイートピーの写真をアップして

「赤いスイートピー!ヤバイです!!!!」

みたいな投稿をしたとする。
一体何がどうヤバイのか?
もう、本当に適当に合わせるしか無い。

「本当だ!ヤバイねwwwwww」

「でしょう?ヤバイっしょ?wwwwww」

こんな事を続けていたら脳が退化してそれこそ脳がヤバくなるような気がする。
一見、ヤバイの意味を色々考えるから想像力が発達するように思われがちだが、それはあくまでも想像力を発揮するステージがあって初めて生きてくる事であって、洞察力の退化、追究力の退化は免れないと思う。

良く噛まないで食事するのと一緒だね。

だからこそ今、長ったらしい文章が必要なのだ!徹底的に物事を追究して書いていく。
くだらないことを!
多分ここまで辿り着いた人は少ないはず。
更新はたまにです。
宜しく

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